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川面美術研究所からのお知らせ

毎日新聞連載「心と技と」建造物装飾 川面美術研究所-12

毎日新聞連載「心と技と」 建造物装飾 川面美術研究所

 

むやみに新調せず保存

 

 前回ご紹介した大徳寺・唐門の彩色修理は、ほとんど落ちてしまった建造物の色を復元する話だった。屋外で風化も早いことから、あえて古色はつけず、創建時並みの華麗な色調に仕上げた。ならば、老朽化はしていても、まだ色が残る室内の場合はどうか。川面美術研究所(右京区鳴滝本町)が2001年度から2005年度まで行った西本願寺・御影堂(重文)の修復工事現場を訪ねた。

 御影堂は寛永13(1636)年の建立。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートルの巨大な建物で、西側中央に親鸞上人の木像を祭った内陣、その左右に余間(よま)と呼ばれる部屋、余間の外側に三の間、さらにその外側に飛燕(ひえん)の間と、左右対称に計七つの部屋が一列に並んでいる。東側はそれらの部屋の分だけ横に長い、大広間のような外陣である。

 修復工事は、建物の老朽化に伴い、1998年から10年がかりで続けられている。研究所はうち七つの部屋と内外陣の境界の、それぞれ長押(なげし)から上に施された彩色部分の修理を担当した。

 研究所の現場主任だった仲政明(46)の案内で、まだ内装工事が続く御影堂の中に入った。修理前の様子は、いつも灯明がともされていた内陣がススに覆われて全体に黒ずみ、内陣から離れるのにつれて、色や模様がはっきり残っていたという。

 どう修理するか。文化庁の最終的な結論は、彩色の残存状態が比較的に良好として、現在の色をベースとした現状保存でいくとした。これは、できる限り元の古材を利用し、むやみに新調しない、とする部材の考え方と基本的に同じであり、ピカピカに復元した唐門のケースとは明らかに異なる。

 結果、素人目には、長押より下の柱に施された真新しい金箔(ぱく)のまばゆさに比べ、赤、青、緑、黄と多色が使われているにもかかわらず、彩色部分はくすんで暗く見えるのだが……。

 「それでは」と、仲に内陣背後の天井近くにある二つの彩色組み物を見せてもらった。一つはあえて手を付けず、もう一つは唐門並みに完全復元してあった。普通は見えない場所なので、後世にサンプルとして残したという。手付かずの方が真っ黒なのは当然として、復元彩色の方は色が鮮やかすぎて重みに欠ける気がした。

 どうやっても不満が出るのだから、素人というのは勝手なものである。

 御影堂は、過去に何度も修理しているが、今回の調査で、文化7(1810)年の修理の際、彩色はすべて塗り替えられていることがわかった。彩色層を見ると、創建時の色を胡粉(ごふん)で白く塗りつぶし、その上に絵を描き直してあったのだ。

 「はく落も、上層のみはげ落ちたもの、下層からゴソッと落ちたものとさまざまでしたが、すべて文化年間の彩色に統一しました」

 顔料もなるべく文化年間に使われたものを選んだが、建造物に使われる絵の具は、岩絵の具中心の日本画と比べ多彩だという。有機顔料の藍、ヒ素、石灰、草の汁。

 「岩絵の具は高価ですから、壁や柱にそうは使えません。面白いのは、創建時の寛永年間とも違うこと。寛永年間の彩色には群青(ぐんじょう)が極端に少ないんです。このころ、日光東照宮が造られていますから、群青はみなあっちに持っていかれてしまったのではないでしょうか」

仲の推理である。

「私たちの修理だって、100年後、200年後に何と言われるか。そう思うと、謙虚に現状の形で保存しておくことが大切ではないでしょうか」

(次回は29日。文中敬称略)【池谷洋二】

 

内陣
 社寺で神体や本尊を安置している場所。仏教では本来、参拝者は堂の外からお参りした。時代が下って、参拝者も堂内に入れるようになると、仏の場所を内陣、参拝者の場所を外陣と分け、その境を結界として段差をつけたり、扉を設けるようになった。宗派によって差はあるが、内陣の中は極楽世界を表すものとして絢爛(けんらん)に装飾されていることが多い。

毎日新聞 平成19年3月15日掲載

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