NEWS

川面美術研究所からのお知らせ

毎日新聞連載「心と技と」建造物装飾 川面美術研究所-10

毎日新聞連載「心と技と」 建造物装飾 川面美術研究所

 

時代の空気を再現する

 

 川面美術研究所(右京区鳴滝本町)が取り組んできた障壁画模写のうち、今回は「復元模写」について紹介したい。

復元模写とは、老朽化して形をとどめなくなった障壁画を、制作当初に戻って復元すること。色落ちばかりか、はく落して消えてしまった部分も復活させ、今日描かれたばかりの新品に仕上げる手法である。

 復元模写の歴史は新しい。そして、今も需要が多いわけではない。その理由について、研究所代表の荒木かおり(49)は「文化財の障壁画には、もともと極彩色だったものが多いんです。そのまま再現したら、日本人の目には安っぽくみえるのでしょう」と言う。

 わかる気がする。文化財でも骨とうでも、古いということ自体が重要な要素になっていることが少なくない。法隆寺が昨日建ったばかりのようだったら、魅力は半減してしまうだろう。

 

 復元模写の一典型は、研究所が1998(平成10)年に大分県の依頼で行った、富貴寺(大分県豊後高田市)の大堂壁画模写だろう。富貴寺大堂は平安時代に建てられ、九州最古の木造建築物として国宝、内部の阿弥陀如来坐像と壁画は重文に指定されている。

 ところが、壁画は風化し、絵の輪郭さえ定かでない。文化財として貴重でも、何が描かれているかよくわからない。そこで、県は大堂ごと実物大のレプリカを造って博物館に展示することにした。
実は、川面美術研究所は71(昭和46)年に、文化庁の依頼で同じ壁画の現状模写をしていた。30年の時をはさんで、現状ありのままの写しと復元の両方を手がけたことになるのだ。写真を見比べると、それぞれの模写の違い、意義がおわかりいただけると思う。

 

 それでは、復元模写はどうやって進めるのか。

 基本的には、前回紹介した古色復元模写と違いはない。本物をトレースして台紙(壁・板)に線を描き、色を乗せる。ただ、復元模写の場合は、本物がほとんど原形をとどめていないケースが多い。赤外線や斜光ライトといった光学的調査のほか、にかわ焼け(はく落していても、彩色していた部分にはにかわのしみが残る)、風触痕の有無などから、元の線や彩色の跡を調査、再現する。

 そして色だが、研究所の創設者、川面稜一(一昨年1月、91歳で死去)は「その時代、地域、政治的背景をよく調べ、人々の美や季節、自然に対する感じ方を汲み取る。時代の色を再現することは、時代の空気を再現することである」と書き残している。

 「例えば、平安時代なら絵画には紺丹緑紫(こんたんりょくし)という約束ごとがあります。紺色の隣には丹(朱)色、緑の隣は紫という具合です。また、菩薩の頭部は群青(ぐんじょう)色なのがほとんどですから、これを手がかりとして、同じ痕跡があれば群青色、隣は赤で、とこう推理していくわけです」

 川面や荒木の話を聞くと、まるでパズルを解いているかのようだ。

 最後に、写真の「阿弥陀浄土変相図」模写絵について、荒木に「再現正確度は、何パーセントぐらいと思うか」と、意地悪な質問をしてみた。

「図の線、形はかなり自信があります。8割から9割は再現していると思う。ただ、色については平成の絵描きがやったことですから、絶対に平安の色とは言い切れませんね」

(毎週木曜日掲載。次回は8日。文中敬称略)【池谷洋二】

 

富貴寺
 養老2(718)年開創と伝えられる天台宗寺院。現存する大堂(阿弥陀堂)は、平等院鳳凰堂、中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂の一つに数えられ、九州を代表する国宝建築物として知られる。大堂内の壁画は、写真の「阿弥陀図」のほか、内陣小壁に「阿弥陀如来並坐像」、外陣小壁に四仏浄土図などが描かれ、いずれも復元された。

毎日新聞 平成19年3月1日掲載

CATEGORY

ARCHIVE