川面美術研究所からのお知らせ
毎日新聞連載「心と技と」造物装飾 川面美術研究所-9
どちらが本物なのか
川面美術研究所(右京区鳴滝本町)が1972(昭和47)年から30年以上にわたって続けている、二条城二の丸御殿の障壁画古色復元模写。研究所の創設者で、一昨年1月に91歳で亡くなった川面稜一らが試行錯誤の末にたどり着いた手法はこうである。
まず、オリジナルのトレースから。トレコート・フィルムというビニール系の紙を乗せ、墨と水絵の具でオリジナルの線を写す。後世、加筆されているものはこの時点で除き、傷みが激しくて欠落しているところは、学者と検討しながら慎重に復元していく。
一方で、模写絵を描く台紙を用意、新品から150年経過したという想定なので、泥絵の具を使って薄茶に塗っていく。自然な日焼け、風化した感じを紙そのものにつけておくのだ。次に線描きを終えたトレコート・フィルムを台紙に乗せ、捻紙(ねんし)という和製カーボン紙を間にはさみ、上から鉄筆でなぞると、台紙に線が転写される。
面倒なのは、ここからだ。狩野派によって描かれた二の丸御殿の障壁画は、金箔(ぱく)を多用しているものが多い。金箔の上には絵の具の顔料が乗りにくく、きれいな色が描けない。例えば、金色の地の上に花が描かれているような場合、あらかじめ花の部分に薄紙を張ってマスキング、金箔を一面に張った後で金箔ごと薄紙をはがして無地を出す工程が必要になる。絵の輪郭に合わせて薄紙を切り抜き、張っていく作業が続く。
それから金箔張り、薄紙はがし、色塗りと進むわけだが、金箔を張るのも、簡単にはく落しないよう、にかわを3層、4層に塗ったり、さらに金箔そのものにも古色をつけるために泥絵の具を10回も塗り重ねて汚したりと、素人の想像を絶する手間がかかるのである。
板戸の場合も同じ。台板に希塩酸を塗ってバーナーで焼き、古色を出してから、焼いて酸化を進めた顔料の岩絵の具を塗っていく。
「最初は、どうしても古びた板にならないんで、銘木店へ行って勉強したり……。板に古色をつけるだけで1カ月もかかったことがありました」
73年から、ここで模写を担当している研究所の主任画家、谷井俊英(57)の思い出である。
谷井の案内で、二の丸御殿に向かった。6棟あるうちの黒書院、大広間、そして白書院の一部は、天井画などを除けば既に模写絵に入れ替えられている。制作後400年を経過した本物と150年を想定して描かれた模写絵。実際に現場で見たら、どんな感じがするか、確かめたかった。
意外だった。模写室で見た時は、150年たったものにしては新しいように思えたのだが、現場では柱や長押(なげし)など昔のままの部材や天井画に溶け込み、落ち着いていた。そして、本物が展示されている部屋から目を移しても、どちらが本物どころか、どちらが古く見えるかすらも判然としなかったのである。
もう夕方で、薄暗かったこと。加えて、各部屋の絵は廊下の仕切りの外からしか拝観できないため、模写室で間近に見るのとは違いもあるだろうが、「わからない」を連発する私に、谷井はニコニコするばかりだった。
二の丸御殿では、模写絵は模写絵とはっきり掲示してある。「すべて模写絵に替わるには、あと20年はかかる」(谷井の話)ので、チャンスがあったら、ぜひ見比べていただきたい。私も、午前の光の中でもう一度見ようと思う。
(毎週木曜日掲載。次回は3月1日。文中敬称略)【池谷洋二】
岩絵の具
日本画の代表的な顔料。従来は天然の岩からとったが、産出量も少なく、最近は人造岩絵の具も多く出ている。群青(ぐんじょう)は藍銅鉱、緑青(ろくしょう)は孔雀石、珊瑚末(さんごまつ)は赤珊瑚が原材料で、絵の具として使うには、接着剤としてにかわが必要。時代を経ると酸化して黒っぽくなるため、あらかじめ焼いて酸化を進めてやると、古色のついた絵が描ける。
毎日新聞 平成19年2月22日掲載