川面美術研究所からのお知らせ
毎日新聞連載「心と技と」建造物装飾 川面美術研究所-7
150年分「古さ」プラス
元離宮二条城(中京区二条城町)。京都を代表する観光名所であり、全体が国の史跡、二の丸御殿は国宝、二の丸御殿庭園は特別名勝、さらには「古都京都の文化財」の一つとして、ユネスコの世界遺産にも登録されている。文化財の固まりのようなこの場所で、30年以上にわたって障壁画の模写作業が続けられ、私たちが拝観しているのが順次、模写絵に入れ替わっているのをご存知だろうか。
川面美術研究所(右京区鳴滝本町)が京都市から委託され、二の丸御殿の障壁画模写をスタートさせたのは1972(昭和47)年。研究所の創設者、川面稜一(一昨年1月、91歳で死去)が模写画家としても、建造物彩色の分野でも円熟期を迎えたころだった。
遠侍(とおざむらい)、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟からなる二の丸御殿には、3000面を超える障壁画が現存。うち954面が重要文化財に指定されている。模写は、老朽化が進む障壁画を収蔵館で厳重管理する代わりに、観光客には気軽に模写絵を見てもらおうというのが狙い。文化財絵画を中心に、1035面が対象になっている。
歴史上、二条城と呼ばれるものは大きく分けて四つある。現二条城は徳川家康が上洛時の宿所として築城したものを、三大将軍・家光が寛永3(1626)年に大改築したのがベースとされる。二の丸御殿の障壁画もこの時期とされ、どの部屋の襖(ふすま)や板戸、天井にも、狩野探幽を中心にした狩野派の絵師集団によって描かれた江戸初期の華麗な障壁画が残されている。
「柱や長押(なげし)などの部材や飾り金具はそのまま、絵だけを新調するわけです。ピカピカの新品絵にしたら、浮いてしまいます。かといって、1000面以上もありますからね。しみ一つまで忠実に模写していたら、時間がかかり過ぎて永遠に終わりません。そこで、周囲の雰囲気をこわさないように、新品に一定の古色をつけた『古色復元模写』の手法が導入されたんです」
模写事業が始まった翌73年から、二条城内にある模写室に詰めているという川面美術研究所の主任画家、谷井俊英(57)が説明してくれた。谷井は現在、京都造形芸術大学や京都精華大学で非常勤講師として模写を教える教員でもある。
前回書いたように、古色復元模写とは、この二の丸御殿の障壁画模写で初めて使われた技法。模写の監修をしていた故・土居次義京都工芸繊維大学名誉教授の命名であり、川面オリジナルだ。顔料を焼くことによって酸化を促進させ、年月を経た状態と同じ状態にして使用している。
でも、古色といっても、新品から何年くらいたったものを想定しているのだろうか。作業中の作品を見せてもらったが、素人目にはほぼ新品同様に思えたのである。
谷井によると、「これも試行錯誤の繰り返しでしたが、今は150年ぐらいを意識している」とか。「へえー、これで150年?」と首をかしげる私に、谷井は「古びた色はついていても、台紙そのものは新しいわけですから、間近で見れば新しく感じるかも知れません。でも、あと250年すれば、現時点で400年たっている本物の今の状態と、ほぼそっくりになっているはずです」と笑った。
二条城で展示されている本物と模写絵を、この目で確かめるのが楽しみになった。
(毎週木曜日掲載。次回は15日。文中敬称略)【池谷洋二】
四つの二条城
歴史上、二条城と呼ばれるのは、室町幕府十三代将軍、足利義輝の居城▽織田信長が建てた同十五代将軍・義昭の居城▽信長が京滞在中の宿所として設け、後に皇室に献上した二条新御所▽家康が京滞在中の宿所として建設した城--の四つ。前三つは現存せず、今の二条城と場所も違うが、義昭の居城と二条新御所は同一のものとする説もある。
毎日新聞 平成19年2月8日掲載